2007年04月24日

-私がめざす政策実現- 1





約束1 「市民と行政が心を通じあえるまち」

  自分たちのまちのことは、自分たちが一番よく知っています。
  あの道路のこと、あそこの公園のこと、愛するまちなみ…
  そして、図書館も公民館も、体育館もグランドも……………
  住民同士が話し合って決めたことが、
もっともっと市政に反映される仕組みをつくります。


☆ 近隣市に負けない市民参画と協働のシステムの実現を図ります
☆ NPO団体の育成と活動への支援を積極的に行います
☆ ボランティア団体やNPO団体等の協働ネットワークをつくります
☆ 市民活動助成制度の創設を推進します
☆ コミュニティ委員会の充実を図ります
☆ 各種審議会・懇談会等の公開を積極的に推進します
☆ 市民と行政の協働によるまちづくり(公民館運営、公園づくり等)を推進します
☆ 緑のネットワーク会議を創設し、緑あふれるまちづくりを推進します
☆ 市民活動サポートセンターの設置を促進します


  


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2007年04月14日

たまて箱 ♪




“コミュニティビジネス ”としての 《 レンタルボックス事業 》

    『 ふれあいステーション たまて箱 』

空き地を活用した住民参加の拠点づくり事業として、中心市街地に位置する商店街の来街者用駐車場の一部に、
10坪のプレハブ店舗を設置し、市民をはじめ商工業者や様々なNPO団体の方々に
気軽に出店・販売していただけるレンタルボックス(60スペース)を提供することにより、
地域経済の活性化に資することを目的として、
私が会長を務めていた平成14年4月に、蕨商工会議所青年部内に「まちづくり委員会」を設置。
調査・研究をスタートしてもらいました。

そして平成15年6月24日オープン。
開店準備委員会委員(現・運営委員会委員)20人
蕨市・蕨商工会議所・蕨西口近代化事業促進協議会
蕨銀座商店街協同組合・蕨中央一番街商店会

市民の特技や趣味を活用して、低リスクで誰もが気軽に商売が出来るという、
趣味と実益を兼ねた事業であることから、空き待ちの出店希望者が180団体・個人という大盛況ぶりでありました。

また、中心市街地の一角にボックススペースを設置してレンタルするという店舗展開は、
近隣では類をみない先進的な事業で、話題性が高く、報道機関等や地方自治体からの問い合せが殺到しました。

マスコミ・外部の反響
全国レベル (テレビ3回、ラジオ1回、新聞2回)
県内レベル (テレビ2回、ラジオ1回、新聞6回)

近隣市に類をみない、先進性の高い業務形態の事業であるため、今日でも
商店街のにぎわいの創出および活性化に資するとともに、地域のイメージアップに大きく貢献しております。

市民の関心度も非常に高く、市内をはじめ市外からの来客者も多く、集客力のある事業として、
地域経済活性化の一翼を確実に担っております。

今後も地域の中からコミュニティビジネスの芽を発掘し、
各般にわたる市民や市民団体の方々と連携しながら一緒に育てて、
地域の特性をいかしたまちづくりを進めていきたいと念願しております。  


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2007年04月12日

プロフィール - 7







さまざまな地域イベントにかかわっている間に・・・・・
イベントは手段であって、それが目的であってはいけない、ということに気付きはじめました。

私たちが目的とすべきものは、住環境整備をはじめとする まちづくり なのだ。

そして、そのためには一定の自主財源と制度的担保を有する まちづくり運営主体 が絶対に必要である、
という考えから、宿場まつりのスタッフと一緒に、
市条例に基く中仙道まちづくり協議会、任意団体を法人化した商店街振興組合、
そして まちづくり会社たる有限会社 蕨宿 を事務責任者として次々と立ち上げてまいりました。

現在、自分たちのまちは自分たちで管理・運営していこう、という意味合いから、
多くの区域内住民の皆様のご賛同を得て、まちづくり計画を策定し、まちづくり憲章を制定し、
まちなみ協定を締結して、現代の宿場の形成に向けての運動を展開しているところであります。  


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2007年04月09日

プロフィール - 6






昭和59年、私の地元の本町通り商店会では、商店会に青年部が出来、
名前も中仙道商店会と改名したことを記念して、
なにかイベントを行おう、という機運が盛り上がりました。

当時は4月1日に苗木市が行われていたので、この時にカラオケ大会でもやろうか…
ということになり、出場者も募って当日を待っていたのですが、
幸か不幸か当日雨が降って苗木市自体が中止となりました。

それでは半年後の11月3日・文化の日あたりまでに、充分準備をして、
単発で終わらない新しいイベントを始めよう、
池上ともやす が一番若いから事務局をやれ、ということで、
見るまつりから参加するまつりへ…を具体的目標に掲げて始まったのが宿場まつりであります。

これまた、まったくのゼロからのスタートでしたので、当日は3.000人くらい人が集まってくれればいいな、
と思っていたのですが、フタをあけたらその10倍ではきかない、
40.000人もの人々がこの宿場まつりに来てくださいました。

この時にも、自分たちが一所懸命頑張ることによって、まちの人々が喜んでくださる喜びを実感し、
蕨の人々や蕨を思う気持ちが強まり、宿場まつりが拡大していくなかで郷土愛が物凄く深まっていきました。




  


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2007年04月05日

プロフィール - 5



そして、この北町青年サークル日暮れの会で知り合った家内と結婚し、
長女が生まれた25歳の時に、蕨青年会議所に入会させていただきました。

初めは戸惑いもありましたが、例会や理事会・委員会で、蕨の未来について真剣に論じ合う、
蕨を愛するいろいろな先輩と出会ううち、自分もこの方々のようになりたい、と思うようになり、
16年間、青年会議所のまちづくり運動・ひとづくり運動に本格的に取り組んできました。

そして成人式発祥の地の蕨青年会議所がハタチを迎える年の理事長は、池上ともやす がやれ、ということで、
1992年、一連の創立20周年記念事業や、塚越の市民公園で開催されたサマーパークフェスティバルでは、
環境問題をテーマに設定して実行委員長を務めさせていただきました。  


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2007年04月04日

プロフィール - 4




ぜひこの私、 池上ともやす をよく知っていただきたく、ここで私がこのまちと、
どのようにかかわってきたかを記させていただきます。

私は昭和30年生まれ、いわゆる戦後二ケタ生まれの無気力・無関心・無責任、の三無主義といわれた世代です。
私自身も典型的なノンポリ学生でありました。

そんな私に、大学1年生の夏に転機が訪れました。
家の大黒柱であった父が病に倒れ、将来は新聞社か出版社に進みたい、という希望があったのですが、
いやおうなしに家業のせんべい屋を継承することとなり、仕事をしながら大学を卒業しました。

その時、このまま地元の蕨で商売を続けていくのなら、まちの人たちといっぱいお知り合いになれたらいいな、と思い、
蕨市青少年相談員協議会という会に入会しました。

青少年相談員というのは、文字通り子ども会のお手伝いや、
小中学生の団体のレクリェーション指導、野外活動、広報活動などを楽しみながら行う会でありまして、
私もさまざまな活動に参加しながら在職中に日本レクリェーション協会の二級指導員の資格をとることが出来ました。

また、青少年活動の一環として、北町に住んでいる小学校時代の同級生や一つ年上の先輩方と
北町青年サークル 日暮れの会 というサークルを設立しました。
自分たちの会費で自分たちがやって為になるもの、楽しいもの、面白そうなもの、
をやっていく自由闊達なサークル活動をしよう、ということで、
夏にバスハイク、冬にはスキーツァー などを自主企画・自主運営しました。

ゼロからのスタートでしたが、まだ木造だった北町コミュニティセンターに大きなポスターを張らせていただいたり、
当時北町にたくさんあった銀行や企業の独身寮に出向いて説明会を開催させていただいたりしたところ、
大型バス一台が定員オーバーになるほどの参加希望者が集まりました。

何かを成し遂げようとする自分たちの熱意と努力で、これほど人が集まるのか、と実感した初体験でありました。
そして、これらの経験が後のPTAや子ども会育成会などの青少年健全育成活動におおいに役立っております。


一人では 何も出来ないかもしれない
でも 一人がはじめなければ 何もはじまらない
その 一人になろう  



  


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