2009年10月08日

『伝統を身近に』

『伝統を身近に』


たしか・・・・・
蕨で 中山道全国宿場会議 を開催した翌年でしたから、
バブルがはじける直前の ある夏の日 だったと思います ♪
当時の蕨市政策企画室の神谷さんと加藤さんに呼ばれ・・・

「池上君、自治省の外郭団体で 全国まちおこしイベント百選
 という事業があって、かくかくしかじか だから 応募してみれば ♪」

なぞと 水を向けられ・・・
選ばれると 次回のイベントに助成金100万円もらえる、
というので、喜び勇んで アークヒルズにある、
自治ナントカセンター というところに、
宿場まつりとは まったくカンケーない先輩と二人で訪れて、
応募要綱一式をもらい、帰りに六本木まで歩いていって、
100万 もらったつもりで ・・・

まっ、いいです  (^O^)/

んで・・・・・
たしか イベントの目的・効果・展望・概要などを400字詰め原稿用紙10枚以内、
イベントの模様を写した写真を20枚以内、ということでしたし、
締め切りまで一週間ほどしかなかったんで、
シャカリキになって 原稿を書き、写真をかき集めて、
なんとか間に合わせ、見事 百選 に選ばれ、
その年の 宿場まつりに 100万円の助成金をいただいたことがあります ♪

まだ パソコンが普及していない時代でしたんで、
ワープロ専用機で原稿を書いたのですが、
保存ベタ、整理ベタ なもので、そのフロッピーも、
百選が掲載されている冊子も、写真集も、
どっかにいっちまって、見つからないのがヒジョーに残念であります (≧・≦)

パソコンを使うようになってからは、大事なデータは、
バックアップするようになりましたんで・・・・・・・

7年前に 埼玉県の助成金をいただいた時に書いた、
宿場まつり2,000字解説文をケーサイいたします ♪


********************************


「中仙道武州蕨宿宿場まつり」

私たちが中仙道という地域特性に着目し、
歴史と文化を活かしたまちづくり活動を開始したのは、昭和五十八年のことでした。
もともと宿場だった所ですから、当然、通りに沿って商店街が形成されています。
そして昭和四十年代までは、蕨市ばかりでなく、
近隣からも大勢のお客さんが集まり、繁栄を謳歌していました。

しかし、昭和五十年代以降は全国のほとんどの商店街同様、
商業活動は沈滞し、町全体が衰退傾向になりました。
こうした状況を危惧した商店の若手経営者や後継者十六名が集まって
昭和五十八年に青年部会が発足したのです。

最初に議題に上がったのが会の名称でした。
今でこそ蕨市民の方々の間には、中仙道蕨宿地域というのは定着しておりますが、
当時は本町通り商店会といってました。
以前はまちの中心となっていた通りですから、本町通りと名付けていたのでしょう。

しかし市街地が拡大、ベッドタウン化が進むにつれ、
中心商店街は蕨駅の周辺になってしまったのです。
本町よりもっとふさわしい名前があるのではないか、という素朴な疑問が出ました。

「ここは中仙道ではないか」。
江戸時代は中仙道六十九宿のうち五本の指に入るほど大きな宿場だったところです。
本陣跡や風格のある古い家が現存していますし、
庚申塔など身近な文化財や緑の濃い落ち着いた所もかなりある。
いわば蕨のまちの歴史を感じさせる遺跡や建物や空間を多く残し、
本物の歴史を持っている地域ではないか。
このような意見が沸き起こりました。

そこで私たちのまちづくり活動は、中仙道商店会、
そしてその青年部会という名称に変えることからスタートしました。
さらに中セン道のセンという字ですけれども、
一般的には山という字を用いています。
しかし、私たちは『人と人とのふれあいを大切にしよう、人と人とのつながりを大事にしよう、
人にやさしいまちづくりを進めていこう』ということで、
あえて強い意思を持って人偏をつけた仙の字を用いることにしました。

そしてこの翌年の昭和五十九年、
青年部会の発足と商店会の改名を記念してイベントを行うことになりました。
それが『中仙道武州蕨宿宿場まつり』です。

まったくのゼロからのスタートでした。
歴史と地域文化を活かしたまつりの企画ですが、
特に注意したのは、他のイベントとの差別化を図ることでした。
“見るまつりから参加するまつりへ” という考えを具体的な目標に掲げました。
そして、とにかく市民の方々が多く参画してくれるような
「創造的なまつり」にしたかったので、
“きてみて、みてみて、やってみて” というキャッチフレーズをつけました。

宿場まつりの内容に関して特に強調したいのは、
宿場道中大行列の中の 『織姫道中パレード』 です。
蕨市が誇れるものは一つに、昔中仙道の大宿場町であったということ。
二つ目に江戸末期から明治・対象・昭和と
綿織物の一大生産地、集積地、機業地だったということ。
そして三番目に戦後いち早く全国に先駆けて成年式を行った、
成人式発祥のまちであるということ。
この三つの特性を結び付けて、翌年成人式を迎える女性に呼びかけて、
コンテストを行い、そこで選ばれた機織りの織姫と
お殿様役である市長さんや市議会議長さん、観光協会会長さんを中心にし、
宿場を通過する大名行列を模したパレードです。

今では蕨市内はもとより近隣の市町村から
実に大勢の観客の方々がお見えになってくれています。

この取り組みを契機に、私たちの『まちづくり活動』は本格的にスタートいたしました。
イベントというのは目的でなく手段なのだと皆が気づきはじめ、
歴史や文化・伝統を身近に活かした住環境整備にも取り組んで行こう、
と商業者だけでなく、地域のサラリーマンの方、公務員の方、
いろいろな方々に参画していただくような形態をとりながら
『中仙道まちづくり協議会』を組織しました。

これは、いわゆるコミュニティアイデンティティの確立を大きな目的とした会です。
このような運動の中で 『まちづくり憲章』 『まちなみ協定』 を制定・締結しました。
現在では、この協議会が中仙道蕨宿のゼネラルマネージャーとなり、
商店街振興組合・同青年部・同おかみさん会、そして昨年設立された、
制度的な担保と一定の自主財源を有する
『まちづくり会社・有限会社 蕨宿』などと一体となって、まちづくり活動を展開し、
『現代の宿場』の形成を目指して日々活動を展開しております。

その最大のソフト事業が『宿場まつり』です。
本年十一月三日・文化の日に二十回目を迎えますが、
スタッフの新陳代謝もスムースに進み、これからも多くの市民の方々が
能動的に参画してくださる創造的なまつりであり続ける、と確信しております。



Posted by iketomo at 17:40│Comments(0)
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。