2011年07月06日

記号について ♪




昨日 登壇原稿を載せようと思ったのですが・・・・・

“ 使えない語句があるからアップできません ! ”

と 何度もはねつけられました。

夜で 一杯やってましたし、原因がわからず ・・・・・

まっ いいや (^O^)/

と あきらめていたのですが、
シラフの今も まだ解明できません m(_ _)m

小出しに掲載していきますので、
変化を お楽しみくださいませ。

最終的に ・・・・・
登壇原稿の ほとんど全部 を記しますので、
活字の好きな方は 読んでやってください ♪

↑  画像は 歴史民俗資料館分館 館内案内図 であります。



********************************



4番、 新生会の池上智康です。   通告に従いまして、

中仙道蕨宿 開設400周年記念事業 に向けての 諸整備 について

一般質問 をさせていただきます。

まずもって、未曾有の激甚災害となりました 
東日本大震災 から 四ヶ月近くが経過しましたが、
改めまして、震災で亡くなられた 方々のご冥福を、
深くお祈りするとともに、
今、なお 多くの方々が 不自由な避難生活を送られており、
被災者の皆様方に、 心からお見舞いを申し上げます。

過去最大の 巨大地震は 日本経済にも 大きな影響を与えています。
経済活動への影響は 被災地に とどまらず、
設備投資や 雇用は 減退し、個人消費の冷え込み も 
一産業人として 実感しております。
これだけ 深い傷跡を 復旧するのは 容易ではありません。
経済が 元に戻るには 相当の時間がかかることでしょう。

復興の 財源確保のためには 国債への 信認を 保つ努力が欠かせません。
そのためには 財政再建 への道筋をつけ、 
同時に 成長戦略の 要 である
平成の開国 を 断行するしかありません。
未曾有の国難を 克服するには 国民全員が 厳しい現実を直視し 
負担を分かち合う 覚悟が 必要です。
日本は 幕末にも 安政大地震で 甚大な被害を受けつつ、 
開国 と 明治維新を 成し遂げています。
歴史に学ぶなら、困難に直面した 今こそ、
あるべき将来像を描くべき でありましょう。

ところで、 ちょうど一ヶ月前 6月5日に執行された 
蕨市議会議員選挙 では、
多くの市民の皆様の ご指導とご支援のおかげをもちまして、
二期目の当選を果たすことができました。
心より 厚く 厚く 御礼申し上げますとともに、皆様のご負託にこたえるべく、
より一層、精進してまいります ことを お誓い申し上げます。

さて 政府は、 昨年夏に 総務大臣を本部長とする 
「自治体クラウド推進本部」 を立ち上げました。
ネットワーク技術を活用する クラウド・コンピューティング の 導入によって、
行政の効率化 や 住民サービスの向上を もたらす 「電子自治体・電子政府」 を
一気に実現する狙いがある と 言われております。

自治体が共同で利用する データセンター や サーバーの構築、 
行政事務の電子化推進など
国が ICT の インフラ整備を主導する一方で、
ソーシャルネットワークの 爆発的な普及や、 情報端末の進化を背景に
市民が ICT を駆使して、積極的に 自治のあり方 を 変える試み 
も広がっております。

過日  蕨市内において 埼玉県商店街振興組合連合会の主催による
【 商店街近代化講習会 】 が 開催され、私も参加してまいりました。

テーマは 『 資本金ゼロからの 地域での起業 と 地域SNSの活用 』 というものであり ・・・
まさに 商店街近代化 というに ふさわしい 【 I T を活用した 地域活性化 】
に 関しての セミナーであり、 近い将来 蕨 で 地域SNS を 運営したい !
本気で そう思ったセミナー でありました。

一方 ・・・・・
蕨市の歴史は古く、江戸時代には中山道の第2番目の宿場町として
おおいに栄えた歴史を持っております。

蕨宿は 江戸時代、中山道六十九宿のうち五指に数えられるほど
賑わいをみせた宿場町であり、
現在でも 風格のある古い家や、平安時代創建の古刹 三学院、
庚申塔 その他の 文化財的アメニティ資源も多く、
歴史を感じさせる 遺跡・建物・空間 が 多く残っている地域であります。

ワゴン車を改造して、合田芳弘さん という方が
画材一式 と ロール紙 を積み込み、
寝泊りできるようにして、 2月半ばから 蕨 を 描いていらっしゃいました。
一日に 2m 描くのがやっと 、ということですので、
東日本大震災の時は 錦町 を 描いていらっしゃり、 
来年末までに 日本橋まで到着すること 
を 目標に、 つい先日、戸田市へと移動されました。

その 合田さんが 私に ・・・・・

「 商店街や まちの 一人一人が 
 ようこそ蕨へ という 暖かい気持ちで接してくれる 人情の厚いまち ですね。
 そして 蕨市には 歴史を残そう という 強い意志が 感じられますね。 」
 と 言ってくださいました。

画家の その一言に 私は 胸が熱くなりました。


理事者 ご承知のとおり・・・ 中仙道まちづくり協議会 では、
蕨宿の 歴史性、物語性 を活かしつつ、
積極的に 道路などの 公共空間をはじめ 周辺の環境整備 を進め、
蕨宿 ならではの 魅力と風格のある 現代の宿場の形成 を目指して 活動を展開しております。
また、これまでに 観光を基軸とした 様々な まちづくりへの取り組み を行った成果として、
まちの活性化 への機運は 高まりを見せており、 商店街では 観光客誘致特別委員会を設置し、
組合役員のみならず、消費者 ・ 史跡研究家 ・ 学識経験者 など 
様々な関係者に参画を要請し、地域の活力向上 に向けた 議論が行われ、
イベント中心の、一時的な集客だけでなく
日常的な にぎわい を 取り戻そうという 運動が始まっております。

蕨市では、平成16年3月に 平成25年度までを 計画期間とする 
「第4次蕨市総合振興計画」 を策定し、
平成21年度には 施策の具体的な内容を示した 
「基本計画」 についての見直しを行いましたが、
その中でも、 にぎわいの拠点づくり として、
「 地域に根ざした 活力の創造として 
旧中山道の歴史性を 生かした施設や 地域の祭り・伝統を活用し、
地域の特性に根ざした 活力の創造に努める。」  ことが示されております。

「蕨宿」 は 慶長17年  1612年 に開設されたとされ、 
来年、 2012年 平成24年 には 
開設400周年 を 迎えることから、これを機会として 蕨市の観光振興 を 一層加速させ、
イベントの開催による 単発での 集客力の拡大 ではなく、
歴史・文化が根付く蕨市  の イメージを構築し、
来て ・ 見て ・ 楽しめるまち を目指していく 絶好のチャンス であります。

埼玉県では、平成22年1月に 埼玉 「超」観光立県宣言 を発表し、
「 常に新しい観光プログラムで 大胆に勝負する。 」
「 小粒でも キラリと光る 新しい観光資源を 徹底的に結びつけ 魅力倍増を図る 」
「 首都圏4000万人の マーケットを最大限活用し、
気軽に訪れることができる 日本一の 日帰り観光県を目指す 」
などを 宣言文 としております。

蕨市でも 埼玉県の観光立県宣言 に呼応し、
“ 来る人を 常に楽しませること ” を 基本戦略とし ・・・・・
「蕨宿」 を中心としたハード資源 と  
歴史・文化を背景とした ソフト資源 の開発を進め、
来訪する度に “ 変化のある街 ” として リピーターの確保を図る 
ことが肝要であります。

特に、 蕨市での 宿泊需要を生み出すことは 現実的に困難 であることから、
「 日帰りで気軽に訪れること 」「 来てみたら楽しい 」を マーケットに訴求し、
来訪者に 「 また来たい 」 と 思わせるまち と しなければなりません。


蕨市は、都心に近接し 日帰り で 来訪できる地域であります。
これまでにも 「蕨宿」 を中心とした 資源開発 や 地域資源の磨き上げ など、
地域住民が 主体的に まちの活性化に取り組んでまいりました。

現在、 利用者が伸びている 「てくてく蕨」 の 催行本数、参加人数 を 増加し、
まち歩き による 集客を図ることにより、 「蕨宿」 だけでなく 
蕨市全体 の PR にも 繋がるものと考えられます。

また、 「歩く」 ことにより、 より地域に密着して地域資源に触れることができるため、
地域の魅力が 伝わるものと考えられます。

日本一 小さな市の コンパクトな まちの特性を生かし、  
地域の核 となる資源 を中心として、
その周辺の 資源を 結びつけて 地域を ブランディング する手法は、
観光振興の 基礎 となる手法であり ・・・・・

中仙道蕨宿 開設400周年 という 節目の年 に 向けて
歴史民俗資料館分館を 地域の核 となる資源   
市内観光ルートの 拠点施設 として 整備する 絶好の機会 であります。

一回あたりの参加人数が 限られるため 
直接 魅力を 伝えることができる人数は 限られますが、
口コミ などの 波及効果 を期待することができ・・・・・
コミュニティ活動が活発で 各種イベントが頻繁に開催されている ことを組み合わせ
蕨市の観光 を 広く告知し、 蕨市への 誘客を図る事業を 実施することにより、
中心市街地活性化 の 全国モデル ともなりうる 格好の機会 でもあります。
地元の住民が住んで楽しい街、  来訪者が来て楽しい街、  
にぎわいのある 「蕨市」 をつくるため、
中仙道蕨宿 開設400周年 を 機に ぜひとも 歴史文化軸の 諸整備を行い
「 蕨が誇る アメニティ資源 」 の 維持保全 ・ 整備 に 努めていくべき 
と 考えておりますが・・・・・

そこで お尋ねいたします。

一点目として・・・  

蕨市中心市街地活性化基本計画 では、 
「 蕨宿 “食” の 交流拠点 整備事業 」 として
歴史民俗資料館 分館 の 有効活用による 飲食・交流拠点の整備 が計画されております。
これが実現されれば、中仙道蕨宿 歴史文化 散策ツアー などとの連携により、
周遊観光パッケージ商品 の 開発が 可能となり、ソフト面での誘客 が図られ、
来街目的の 多様化による にぎわい が 創出できると考えておりますが、
今後、どのように進めていくのでしょうか。

二点目として・・・
中山道 本町通り の 道路修景が始まってから 10年以上が経過し、
車道・歩道 ともに 劣化が 目立つようになりました。
来街者も 増加中であり、 中仙道蕨宿 開設400周年 記念事業 に向けての
気運が高まっている 中仙道まちづくり協議会では、
中山道 本町通りを、歴史文化軸として ふさわしい道路として整備してほしい、
との 思いを持っているようですが、 市当局としては どのように 考えているのでしょうか。

三点目として・・・
旭町前谷線 が 開通した際の 景観整備について お聞きします。
現在の 国道17号 から 中山道本町通り までの 県道は 
市に移管される と伺っております。
市として 景観道路 として整備すべき と考えますが いかがでしょうか。

また、 新しい県道 と 中山道本町通り が 交わる交差点の 名称は、
中仙道蕨宿 がふさわしい と考えますし、
その交差点の 歩道 巻き込み部 は、
景観に配慮したもの として整備すべき と考えますが いかがでしょうか。

四点目として・・・
誠に 残念ながら 四ヶ月前に ・・・・・
蕨宿に訪れる 方々の ほとんどすべて が 見学に立ち寄り
メディアにも たびたび 取り上げられてきた ・・・
中仙道蕨宿 最古の木造建築物 が 焼失してしまいました。 
中仙道まちづくり協議会 指定の 景観建築物 でありました。
原因は不明 だそうですが、 今後 このようなことが起こらないよう、
大切な 景観建築物 が 滅失しないようにするため、
行政として なんらかの工夫をこらすべき と 考えますが いかがでしょうか。

以上 市長の ご所見 を お伺い いたしまして 登壇での質問を終わります。




  


Posted by iketomo at 19:26Comments(0)